生きるということを考える【世界から猫が消えたなら】映画のあらすじ感想

川村元気さんの小説を原作に、2016年に公開された映画です。主演を佐藤健さんが務めています。

猫がメインの題材で、猫好きの人のための映画なのかと、鑑賞前は漠然と思っていました。が、鑑賞後にそのイメージはまるっと変わりました。

 

確かに、心があたたまるようなつくりになってはいるのですが、その中身は「ああ、猫がかわいかったね。猫好き必見!」というような感じではなく、「生きるということ」について考えさせられるような内容になっています。

「生きるということ」について考えさせられる、とは、どういうことなのか。

今回は、そんな『世界から猫が消えたなら』についてレビューしていきます。

まず、あらすじについて。

主人公である『僕』は、郵便局で働いているごく普通の社会人。愛猫である『キャベツ』とともに暮らしています。

 

平凡な毎日を送っていましたが、ある日突然、余命宣告を受けます。すると、ショックでその現実を受け入れられないでいる『僕』の前に、『悪魔』を名乗る男が現れるのです。

 

そしてその『悪魔』が言うには、「世界から大事なものをひとつ消すかわりに、一日お前に生き延びる命をやろう」とのこと。

「自分が死ぬ」という現実を受け入れきれない『僕』は、その取引を承諾します

 

そして、電話、映画、時計、猫、の順番で『悪魔』は世界から消し去るものをつぎつぎと提案していきます。

ところがひとつ消えるごとに、その「モノ」に関連した人物との記憶や思い出がなくなっていってしまうのです。

昔の恋人、学生時代からの親友、そして家族…。物語が進んでいくなかで、だんだんと『僕』の心情も変化していきます。

 

そして、いつしか「自分が死ぬ」という現実を正面から受け入れることにした『僕』は、母の病死をきっかけに疎遠になっていた父を訪れることにします。物語は、『キャベツ』を抱いて父の家に向かう描写で終わっています。

 

ここからは人物に焦点をあてたレビューに入ります。

  1. 昔の恋人
  2. 学生時代の親友
  3. 母親と父親

の流れで紹介していきます。

昔の恋人

恋人役には、宮崎あおいさんがキャスティングされています。

大学時代の彼女なのですが、出会いのきっかけは彼女からの間違い電話でした。

彼女は『僕』の母とも親交があり、当時から仲も良かったみたいで、その意味でも『僕』にとっては「かけがえのない存在」であったことが覗えます。

 

また、途中の回想シーンで、一緒に海外旅行に出かけている場面もあったので、もともとのふたりの仲の良さも伝わります。

別れた原因は作中からは不明なのですが、彼女の口から、「わたしたちはお互い嫌いになって別れたわけじゃない」という発言があったので、別れたいまもなお、お互いがお互いのことを特別に思っていることを感じ取れました。

「電話を消す」と悪魔に言われて、『僕』が最後に電話をかけることに決めた相手は、もちろんこの彼女に宛ててでした。電話をかけて会う約束をし、話しをしてから、分かれる最後に「自分が死ぬ」ということを告げる『僕』

シン

このシーンは切なかったです。

電話が世界から消える

そしてその後ついに電話が世界から消されることになるのですが、この彼女との思い出もだんだん消滅されていくのです。

驚いた『僕』は、どういうことなのか『悪魔』に問い詰めます。答える『悪魔』は、「そりゃそうだろ。モノが消えるってことは、それに関連した記憶も全部消えるってことだ」と答えます。ただ単にモノが消えるというわけではないということを、『僕』はここで理解します。

楽しかった思い出も、幸せな記憶も、もう彼女の頭の中にはなくて、過去の事実としても消え去って、『僕』は打ちのめされました。電話が消えたあとに会いに行っても、そこにいたのは「『僕』を知らない彼女」。あなたは誰ですか?とでもいうように。『僕』の絶望たるやいなや。

もし自分の身に同じことが起こったら、とても悲しいし、ショックですよね。ここで感情移入してしまいました。

二人で旅行

彼女とのエピソードのなかで、ひとつ印象深いものがあります。それは、ふたりで旅行した際に、大きな滝の前で、彼女がその滝に向かって、「生きてやる」と何回か叫んだことです。

 

「生きる」ということがこの作品のひとつのテーマであり、作品を通して至るところにその要素がちりばめられていると思うので、鑑賞する際にはぜひこのシーンに注目していただきたいです。

シン

「生きてやる」と、泣きながら叫ぶ彼女をうしろから見つめる佐藤健さんの演技にも注目です。

学生時代の親友

学生時代の親友には、濱田岳演じる『タツヤ』が登場します。

タツヤとの出会い

彼との出会いは、大学の教室です。

いつもひとり、映画のDVDを持ち歩いているようなタツヤに『僕』がある日話しかけます。

「映画が好きなのか」と。ふたりは映画好きという共通点がきっかけで、すぐに打ち解けることになります。

 

それ以降、毎日毎日『タツヤ』は『僕』のために、「『僕』がみるべき作品」を持ってきてはくれ、貸してくれるようになります。『タツヤ』のおかげで、どれほど『僕』の大学時代の思い出が豊かになったことでしょう。

シン

同じ趣味をもてて、同じ「とき」を共有できる友達は、大切な宝ですねぇ

タツヤの記憶から僕が消える

ところが、この映画がこの世から消えることになってしまい、この『タツヤ』の記憶からも『僕』は消されてしまうことになります。

映画好きが転じて、『タツヤ』が働いていたDVDレンタルショップも、本屋へと変わってしまいます。

 

『タツヤ』が話しかけてきてくれますが、その言葉は、「お客さん何かお探しですか?」という言葉。

シン

ここのシーンも切なかったで。

自分の大切な人の記憶から自分はいなくなって、だけど自分の記憶の中にはふたりで過ごしてきた歴史があって、、。そのギャップはなかなか受け入れられないものがあります。

 

そしてここでも『僕』は理解します。自分の人生にとって大切な人たちとの記憶や思い出がなくなるということの本当の意味を。怖さを。悲しさを。

タツヤの名言

『タツヤ』のかっこいい名言があるので、ここで紹介します。

「映画は無限にある。だから俺とおまえの関係も永遠に続く」。

『僕』を忘れてしまったシーンでこのセリフを重ね合わせてみると、切なさが倍増します。おすすめは、しません。

母親と父親

父親は、時計店を営んでいて、その性格はザ・昔気質の職人さんとでもいうような感じです。

回想シーンでは、やっぱり時計を修理している姿が多かったです。

 

母親が亡くなる際にも、母のために時計を直していて、死に際に駆けつけることが出来ませんでした。

「そんなこといますることじゃないだろ」と僕は怒り、母が亡くなったその後は父親とは疎遠なってしまいました。

 

母親とは、「猫」に関する思い出が多い『僕』

『僕』が幼いころに拾ってきた猫である、『レタス』。この『レタス』は、母の病気が判明したころくらいに病気で他界してしまいました。

母はすごくこの『レタス』をかわいがっていました。

 

その後に、「母のために」とこっそり二代目である『キャベツ』を父親が連れてきます。

この「キャベツ」が、現在『僕』と一緒に住んでいる猫です。

猫が消えると・・・

「世界から猫を消すことにした」と『悪魔』に告げられた『僕』の頭の中には、家族との思い出がよみがえります。猫が消えるということは、家族との思い出もなくなってしまうということ。

 

疎遠になってしまった父親、いまはもう病気で他界してしまった母親との思い出がなくなってしまう。取り返しのつかないことになると『僕』は思ったのでしょう。

 

やっとここで、「自分が死ぬ」という運命を受け入れることにします。

 

これは私の憶測ですが、

「大切な人たちとの思い出をなくして、この悲しくて胸がはちきれそうな思いを抱えたまま生きていても、意味がない。ただ毎朝を迎えられたらいいというわけではなくて、自分の人生に関わってくれる人たちがいて、その人たちと豊かな気持ちや経験の共有が出来るから素晴らしいのであって、たんたんと自分一人で生きるということに関して価値があるわけではない」

というメッセージが込められているように感じました。

 

母親と父親の回想シーンが特に内容が濃くて、細部に色々配慮がされていると感じたので、注意しながらゆっくりみることがおすすめです。

まとめ

総じて、良い映画でした。

物語自体に大きな起伏があるわけではないのですが、そこがかえって心にじわじわと染みてきます。

 

代わり映えのない日常に飽きたときなど、ふとささいなことの幸せに気づきたいとき、何度か見返して鑑賞したい作品です。

くすっと笑えておすすめしたいシーンは、

①『僕』が『ツタヤ』というと、『タツヤだよ』と毎回繰り返すふたりのやりとり

②『キャベツ』を父親が連れて来たとき猫を段ボールの中に入れるためにわざわざキャベツを箱買いしたことが分かるシーン、のふたつです。

 

他にも面白いシーンはちょこちょこあるので、ぜひ本編で探してみてください!

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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